第二次世界大戦におけるミゼット・サブマリン

 

 何をもってミゼット・サブマリン、豆潜水艦とするか、というとなかなか定義が難しい。

通常の小型潜水艦もあるし、いわゆる人間魚雷、水中バイクも含むかもしれない。全部網羅しようとすると取り留めなくなってしまうので、本稿では軍用に用いられたミゼット・サブマリンをなるべく多く、幅広くとりあげたいと思う。ただし、武装があるもの、戦闘用に限り、軍の深海救難艇などは割愛させていただく。(これはこれで面白い素材だろうが) 

 

世界初の軍用潜水艦は、アメリカ独立戦争時の「タートル」だろう。デヴィット・ブッシュネルによって発明されたこの人力潜水艦は樽そっくりだった。ろくな艦艇を持っていない独立軍は海では苦戦しており、このような珍兵器も投入せざるを得なかった。1776年9月6日、タートルは、8km上流から、ハドソン湾に停泊するイギリスのハウ提督が座乗する64門艦、「イーグル」の艦底に梱包爆薬を仕掛けようとしたが失敗した。職人よりも発明家が活躍するアメリカらしいエピソードである。

後の南北戦争では、海軍力に劣る南軍が潜水艦に目をつけ、もくもくと煙を出すため夜襲にしかつかえない蒸機推進式の潜水艦「デヴィット」を完成させた。魚雷などという気の利いた代物はなく、棒の先に爆薬をくくり付けた刺突爆雷だった。1863年10月、サウスカロライナ州チャールストン沖で、北軍の装甲艦「ニューアイアンサイズ」を襲撃し、損害を与えたがデヴィットも沈没してしまう。

1864年に完成した潜水艦「ハンレイ」は蒸気機関をあきらめ、8人でクランクを回す人力操作型に戻ったが、そのため、完全な潜航と、昼間襲撃が可能だった。武装は相変わらず刺突爆雷だった。一回目は失敗したが、1864年2月17日、「ハンレイ」は見事に北軍の蒸気スループ艦「ハウザトニク」を撃沈し、潜水艦による世界初の軍艦撃沈記録を達成した。しかし、刺し違えだったようで、「ハンレイ」も沈められ乗員も全員が戦死したようである。他にも南北戦争では潜水艦による戦果がちらほらと見られる。

 アメリカ以外では日露戦争前にロシアが泊地防衛用のミゼット・サブマリンを開発、実戦投入しようとしたが結局、間に合わなかった。実戦では使われなかったが、三人乗りの自爆潜水特攻艇も開発されたという。

当時は潜水艦の性能自体がたいへん低いものであり、速度も遅く、航洋能力もないため、停泊中の艦艇にこっそり忍び寄って闇討ちするくらいしか手がなかった。これが低速だが、見つかりにくい小型のミゼット・サブマリンでもって、停泊中の艦艇を狙うという後の用法の原型となったのだろう。

開発当初の潜水艦がやったんだから、できないことはあるまい、というわけである。確かに、そのとおりなのだがミゼット・サブマリンを巡る環境は当時と大いに異なっていたのだ……

 

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第二次世界大戦におけるミゼット・サブマリンの使われ方 

 

 

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