特定秘密保護法案へのパブリックコメント

 

ようやく日本も普通の市民国家への道を歩みつつあると実感いたしました。

 

政治家や官僚、政府を批判するのは自由です。しかし、

日本人の自由と安全を保障する日本国家の独立を毀損する権利は日本人にありません。

国家が無ければ自由も人権も民主主義もあり得ないのです。

 

「国の安全」「外交」「公共の安全と秩序の維持」というのは聊か漠然としています。

そこに根拠のない不安を感じる人も多いようです。無理矢理解釈すれば例えば道路拡張工事の是非、火力、原子力、水力などの発電プラントの建設の是非についても「公共の安全と秩序の維持」について引っかかってしまうと考えてしまってもおかしくありません。

そのため、「国防」「外交」に集約してはどうでしょうか。

「国防」に「内乱」や「間接侵略」も含めればすむと思います。

 

公務員、現職閣僚とそれに関連する人物(防衛産業など?)というのは不安です。

なぜならば議員、政権与党や野党の中に日本国の独立を脅かすような外国勢力に使嗾される人物がいないとは

限らないし、そうした人物が何らかのルートで機密情報を手に入れ外国に渡す可能性が高いからです。

これら政治家が罰せられないのは片手落ちと言わざるを得ません。議員の不逮捕特権も停止されるべきです。

また公務員として明示された官僚は無論のこと、非現職官僚経験者なども同様に外国勢力に機密を売り渡す可能性が最も高いといえます。

 

秘密保護の歯止めとして関わる官僚は全面的に経歴など個人情報を公開し、身辺は無論、言動など審査を厳しくし、裁判官の様に選挙でリコール可能としたらどうでしょうか。

国民にとって開示されなければならない情報を隠すことに同意する官僚はパージされるべきではないでしょうか。、

 

※集団的自衛権にしてもなんにしても歯止めをかけるのはいいけれど、結局最低限のネガティヴリストでやるべきで

こういうケースはよし、とか言っているとそれこそ際限がなくなる。「必要最低限という言い方はどうとでもとれる」

というのは確かである。しかし、現実において適宜に対処するしかない、というのもまた事実なのだ。

 

※立派な規則XXカ条よりも結局は「人」だとしかいいようにない。

どうも日本人は立派で細々とした法律、制度さえできればそれで解決すると勘違いしている節がある。

様々な問題でもよく「機能不全」「制度疲労」という言葉で覆い隠されてしまうような気がする。

しかし、こうした考え方はかえって法治主義からかけ離れたものではないだろうか。

立派かどうかは置いておいて国民が「それなりに真っ当な人」を選び抜き、法に沿った「判断」「解釈」をさせればいい。

法や制度が人の問題を扱う以上、結局、「人」でしか解決しようがない。人を育て選ぶしかない。

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