イラク共和国防衛隊(アル-ハリス・アル-ジャムフリ)について
1. 共和国防衛隊の組織
イラク全地上兵力の約20パーセントを占める共和国防衛隊(共和国親衛隊)は、体制維持を任務とする最精鋭部隊で、国防省ではなく特殊保安庁の指揮下にあった。イラン・イラク戦争中に1個旅団の大統領警護隊(宮殿警備隊)から、7個師団(30〜33個旅団)に大拡張される。
隊員はフセイン大統領の出身地であるティクリートのスンニ派イスラム教徒から選抜された。イラクの正規陸軍よりも優先的に人員及び装備の補充を受け、ボーナスや住宅助成金、新車など福利厚生面でも正規軍より恵まれており、忠誠心の厚い部隊とするため充分な配慮がされていた。また、訓練も正規軍より多く受け、練度も高い。共和国防衛隊は機甲、機械化師団を多く保有し、ソ連製T72主力戦車、BMP歩兵戦闘車、フランス製GCT自走砲など、装備も優良だった。編成上も陸軍に比べて優遇され、戦車1個大隊は4個中隊編成(陸軍は3個中隊)、機甲旅団には自走砲大隊2個、後送・警備小隊1個が、機械化歩兵旅団、歩兵旅団には牽引砲大隊2個と工兵小隊1個がそれぞれ増強され、火力を重視した編成となっている。なお、共和国防衛隊に限らず正規軍でも同様だが、イラク軍独自の兵制として師団及び旅団に襲撃専門のコマンド中隊を置き、不正規戦の能力を強化している。
ちなみに共和国防衛隊は湾岸戦争中の報道で大統領警護隊と呼ばれていたようだが、サダム・フセインを守る特別共和国防衛隊(大統領警護隊)も別組織として存在する。合わせて4個旅団(約15000人)からなり、第1旅団がボディガード、第2旅団が宮殿の警備、第3旅団が民間の四輪駆動車を装備した遊撃隊、第4旅団が戦車や防空車両からなる重装備部隊となっている。
2.共和国防衛隊師団名称
共和国防衛隊師団はイラクの歴史やイスラム教にちなんだ英雄的な名称がつけられている。
メディナ機甲師団
正しくはアル・メディナ・アル・ムナワラ(=輝けるメディナ)師団。イラク戦争では最優良装備師団でT72を270両も装備していたという。メディナはイスラム教の預言者ムハンマドが、メッカのクライシュ族に追われて移り住んだ地。この事件を聖遷(ヒジュラ)と呼ぶ。ムハンマドはメディナでイスラム教共同体(ウンマ)を建設し、勢力を固めたので、メッカに続く第2の聖地とされている。そのメディナを師団名に選んだのは、信仰心に訴えたかったのだろう。
ネブカドネザル歩兵師団
新バビロニア帝国の王(在位前605〜562年)。イスラエル人のユダ王国を滅ぼしエルサレムを占領、有名なバビロン捕囚でユダヤの上層部を連れ去った。フセイン大統領も反イスラエル、中東の盟主というポーズのため、自らをネブカドネザル王になぞらえていた。
ハムラビ機械化歩兵師団
古バビロニア帝国の王(在位前1813〜1781年)。ハムラビ法典を整備したことで有名。公正で弱者にも配慮した法を心懸けた。
アル・ニダ機甲師団
(神の)呼び声、叫び。
アドナン機械化歩兵師団
イラン・イラク戦争の際、国防大臣をつとめたアドナン・ハイラッラーを記念して創設。フセイン大統領の従兄弟で親友でもあった。クウェート侵攻前の1989年事故死(暗殺?)したと伝えられている。ちなみに政権幹部の名が付けられたのは、この師団のみ。
バグダッド歩兵師団
首都バグダッドの名前を冠している。バグダッドは766年、アッバース朝のカリフ=教主であるマンスールにより建造された。8世紀末には唐の長安と並ぶ世界都市となる。
アル・アベド歩兵師団
神の僕。神の思し召し。信じる者。
イラク戦争に参加したのは、この7個師団(統廃合したのでアル・アベド歩兵師団を除く6個師団という説もある)だった。湾岸戦争中にはタワカルナ機械化歩兵師団も存在していたが、壊滅に追い込まれ再建されなかった。タワカルナとは、「神頼み」「神は我々を助ける」「我々は神を信じる」と訳されるタワカルナ・アラ・アラフから名づけられている。他にアル・ファウ歩兵師団、ムスタファ特殊戦師団という名の師団も確認されているが、統廃合されたようだ。アル・ファウは、イラン・イラク戦争の際に激戦が繰り広げられたファウ半島にちなんでおり、ムスタファは選民を意味する。特殊戦師団は基本的に歩兵師団と同じ編成だが、コマンドとしての能力が高い兵士を選抜した師団だと思われる。
3.親衛隊の失敗
アケメネス朝ペルシアの不死隊やナポレオンの近衛軍団、ナチスドイツの武装親衛隊など、皇帝や独裁者の最後の護り、親衛隊は、毒々しくも華やかなイメージを掻きたてる。しかし、現実には軍を信用できない権力中枢が別に編成するものが多く、大変に効率の悪い代物である。二つの軍による対立、政争が絶えないだろうし、命令系統も二つあるため、実際の作戦で齟齬をきたすのは間違いない。二つの組織を整備するのだから、コストもかかる。戦場で要らざる功名争いなどを始めたら、目も当てられない。
サダム・フセインは全軍のうち、二割も共和国防衛隊にし、それでも信用できず、さらに特別共和国防衛隊を編成するなど、イラク軍の非効率化を進めた。イラク共和国防衛隊は親衛隊の悪い見本そのものである。
ソ連の親衛師団も名誉称号で、ナポレオンの近衛軍団も教導を行う歴戦のエリート部隊であり軍の一部だった。もし、親衛隊を作るならば、名誉称号くらいに止めておいた方が無難だろう。
そして何より皮肉なのは、独裁者や皇帝が自己の権力を強化するため、親衛隊に力を与えすぎると、最も恐れていた叛乱の火種になりかねないことだ。
ローマ帝国では近衛兵が叛乱を起こし、自分たちの中から皇帝を担ぎ出して新皇帝が誕生するのが常態になっていたし、ルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻を射殺したのは寝返った親衛隊だった。
何より、親衛隊など、あからさまに軍を否定する組織を作ること自体、叛乱を誘う。
独裁者の最後の盾である親衛隊だが、逆に首吊り紐になってしまうことも大いにありうるのだ。