偽史の誘惑

 

過去は必ずと言っていいほど美化される。現在は衰亡し、卑小な存在になってしまったが、かつては偉大であり、美しかった。そして手本は必ず「古き良き時代」である。ギリシアは、神と人が混在したかつての時代を夢見たし、儒教を奉ずるチャイナの各王朝も、表向きではあるが理想を周に求めた。過去の栄光の再興こそ、その時代の権力の理想として掲げられる。現代においても例外ではない。現代ロシアは新しい資本主義、民主主義国家というより過去のツァーリ的権力者を頂く大ロシアを志向しているし、中華人民共和国は過去の大王朝に自らをなぞらえようとしている。建国二百年少しのアメリカですらフロンティア国家という自らの影を未だに追っている。

過去こそ栄光である、というナショナリズムの核を為す衝動は、容易に歴史の捏造へと転化する。例えば、ナチスはアーリア人=トゥーレ人(過去、全世界を制覇した指導的民族)という神話をでっちあげたし、お隣の韓国も大桓国という朝鮮半島から大陸奥地まで広がる一大朝鮮民族国家が古代に存在したという「古代史」が堂々とまかり通っているらしい。

我が日本においても、例外ではない。今でも知られる源義経ジンギスカン説は、日本ではじめてシェークスピアを訳したそれなりに名の知られた学者が唱えた。世界史的に有名な人物を日本人とすることによって、自尊心を高め、外国にアピールしたいという西欧世界と対峙した明治期の日本人の焦燥、ある意味、素朴な愛国心の発露だった。後に義経ジンギスカン説は、軍部が大陸進出のプロパガンダとして、各地に遺跡を捏造していくことによって拡大していく。

これほど大掛かりではないが、偽史が正史に組み込まれた例として、明治44年に起こった「教科書問題」がある。右翼が、万世一系の皇統のはずなのに皇統が二つ存在する南北朝時代が教科書に表記されているのは不敬だ、という指摘をし、大騒動となった。結局、明治が建武の親政の再現といった体裁をとっていたこと、講談などで民衆が南朝の武将に親しみを感じていることを勘案し、南朝を正統とし、教科書には吉野朝時代(!)と表記されるようになった。明治天皇は北朝の系統だし、解釈の余地などないほど、当時の実効支配者は、足利政権なのだが、それを完全に無視して忠君愛国の物語を優先させた。偽史が教科書に堂々と載ったのである。実は、これを仕掛けたのは大逆事件で死刑になった幸徳秋水の仲間である左の社会主義者、彼らと親しかった右の国粋浪人たちだったという。(右左の協力というとおかしな感じがするが、薩長門閥政府が敵であるということでは一致していたのだろう)天皇を持ち出して、門閥政府よりさらに右なことを言い、門閥政府を脅しつけるというのは、それなりに有効な手だった。うまい逆襲といえば逆襲なのだが、これ以後日本の歴史教教科書は神懸かり調になっていく。門閥政府に対する怨念が偽史に化けたのだ。

昭和期に入ると、超古代日本が世界の中心だったという新興宗教教祖、竹内巨麿の荒唐無稽な竹内文書が流布する。竹内文書は皇道派の青年将校たちにそれなりに受けたらしい。言うまでも無く八紘一宇、大東亜主義の理想が古代にそのまま敷衍したものである。

敗戦から一転、あらゆる価値観が崩壊した戦後は偽史、というより偽書、偽家系図を体現した人物が現れる。熊沢天皇である。一時は昭和天皇退位を目論んだGHQや、怪しげな取り巻きにより、自分こそ天皇であると熊沢は完全に信じ込んでしまい、すっかり世間から省みられなくなっても運動を続けた。

偽史、偽書を作ったり広めたりする人間に共通しているのは、「いまは落ちぶれているがお前は○○の子孫だ、落胤だ」など親から言われたり、先祖の家系図を解釈し、自分で言ったことを信じこんでしまう部分だという。自らの理想を歴史に投影してしまうのだ。さらに、それを信じる人も似たような考えの持ち主である。彼らの根底にあり、また、こういった偽史、偽書を信じる人々の心の奥底にあるのは、ルサンチマンだろう。割合稚拙な偽書でも、多くの人々が信じてしまうのは、提唱者のルサンチマンが、潜在的なルサンチマンを呼び起こし、共振作用をもたらすためだ。

最近、完全に否定された東北古代王朝の存在を明らかにしたとされる東日流外三郡誌が好例である。製作者の和田は、実際は中農であるのに、代々続く名家であると称し、由緒ある家柄であることを強調した。偽書を支持した学者、古田武彦も大和朝廷史観に対して古代日本列島には多くの王朝が存在したとする多元王朝説を唱えていた。正に過去の栄光への拘り、中央へのルサンチマンを体現したような人物だった。東北は偉大であって欲しい、いや偉大であるはずだ、という彼らの願望が、大和朝廷から現代の不況まで中央に痛めつけられている東北の人々の心に共振し、偽書としてはあまりにも稚拙な東日流外三郡誌を長い間流布させた。

偽史、偽書とは直接的には関係ない、歴史をいかにして見るか、という○○史観も同じ問題を孕んでいる。最近(でもないか)流行の自由主義史観と自虐史観も、社会的風潮を反映したルサンチマンであることは間違いない。アメリカへの反発と目覚しい民族解放闘争、または共産主義への好意から戦後民主主義を絶対化する「自虐史観」。それを撃ち破らんとする、冷戦構造の崩壊と相対的に弱体化した日本を元気づけようと太鼓を叩く「自由主義史観」。どちらも、戦前社会へのルサンチマン、そして戦後社会へのルサンチマン抜きには成立しえない。両者は主張が違うだけで、その根底にあるものは、驚くほどよく似ている。その様はちょうど、仮想敵を倒す為に姿形から設計理念まで、ほとんど同じコピーといって差し支えない兵器が戦場に投入されているようだ。

歴史とは常に勝者の側から記述されるという。そこには、確かに現在への飽くなき、無邪気なまでの肯定と歴史と自己の一体化、徹底的に美化した過去の栄光がある。都合の悪いことや負け戦は、きれいに拭われる。まさに傲慢さを剥き出しにした正統という名を冠した「偽史」である。では、翻って敗者の歴史が真実を伝えているというと、それも在り得ない。ルサンチマンによって支配され、美化された今は無き栄光に連綿とした「偽史」があるばかりだ。真実の姿には程遠く、より皮相な偽史、偽書の温床とも言えなくもない。

傲慢と怨念、自らの属する歴史に過剰な情念を持たず、あたかも古代ローマ帝国の歴史を眺めるかのような冷徹な視点があってこそ、偽史や偽書は無論、浅薄な史観を超越した「歴史」を「観る」ことができるのではないだろうか。しかし、情念を廃した歴史が成立しうるかというと、それもまた、難しい。一つモデルを上げうるのならば、善悪正邪などではなく、勝敗や功利を中心として考える、敢えて名づけるならばゲーム的歴史考察とも呼べるものが必要である。「なぜ」という犯人探しではなく、「如何にして」という分析こそが、歴史に近づく地味だが、確固たる道ではないだろうか。

 

 

 

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