ドイツ

 

1943年秋、戦局の悪化に伴い、もはや通常の潜水艦戦では連合軍に太刀打ちできないと考えたドイツ海軍元帥デーニッツは、ワルタータービン機関搭載の新型潜水艦の開発を進めると共に、主に小型の舟艇、潜航艇を用いて敵艦を攻撃する部隊の編成を決定した。

12月、ヘルムート・ハイエ少将を司令としたK(小型戦闘隊)戦隊が発足した。

 搭乗員は全員志願制とし、海軍のみならず、陸軍や空軍からも志願兵が多く集まり、士気は高かった。

 

ネーガー(黒人)/マーダー(テン

 1944年3月、最初に配備されたのは、ネーガー(黒人)という名前を持つ小型潜航艇だった。なんで黒人なのかと首を捻ってしまうが、開発者のリヒャルト・モールの名前のモール(ムーア人=黒人)からつけたという。

基本的に既製品を流用した兵器であり、搭乗員が操縦するよう改造されたG7e電池魚雷の下にさらにG7e電池魚雷を吊下した、魚雷が二本縦に繋がっているような、人間魚雷タイプの潜航のできない半没潜航艇であった。排水量は僅か2.7t、全長は7.6m。機関は12馬力の電気駆動魚雷用モーターのみだった。最大速力は水中4ノット。搭乗員は透明の風防から目視で敵を発見し、サイトの中に敵を捕らえて、深度調整された魚雷が発射される。猛訓練が行われ、事故も多発した。

1944年4月、イタリアに上陸した連合軍のアンツィオ橋頭堡のネッツーノ泊地への攻撃を開始した。K戦隊の装備する30基のネーガーがイタリアに移動、トレーラーが砂にはまり込んだりとトラブルに見舞われ、発進したのは17基だった。9隻が攻撃に参加した。目標となっていた輸送船群の姿はなく、哨戒艇2隻を撃沈、または大破させ、巡視船1隻を撃沈した。13基が帰還したとされており、失われた内の1隻は、搭乗員が一酸化中毒で死亡し、連合軍に鹵獲された。

1944年6月6日、連合軍のノルマンディー上陸作戦が行われ、K戦隊も爆撃を避け、寸断された交通網に苦しみつつ、陸上移動し、セーヌ河河口のオンフルールを拠点とした。ネーガー40基を装備しており、7月5日の夜間、26基が出撃(2基が故障により途中帰還)、15基が撃沈され、戦果は掃海艇2隻にとどまった。同日7日、21隻が出撃し、自由ポーランド海軍の軽巡洋艦一隻を大破させたものの、21隻すべてが撃沈された。K戦隊は、ネーガーを僅か2回の攻撃で消耗し尽くしてしまった。

K戦隊には、もう一つ、リンゼン(えんどう豆)という名の爆装ボートが装備されていた。指揮ボート1隻からボート2隻を無線誘導し自爆させる。(自爆ボートの搭乗員は直前で海に飛び込み、指揮艇に回収される)こちらは、事故、流出、座礁などで全艇が失われてしまった。

 7月末、補充したネーガーを改良したマーダーが58隻、リンゼンが48隻到着した。

マーダーは、ネーガーの艇首にタンクを付けて30mほどの潜水が可能となったが、性能は大差なかった。今度は激戦の繰り広げられたノルマンディーのカーン市からわずか十数キロ離れた小港、オールガトーを根拠地とした。8月2日に再度、全兵力でもって、ノルマンディー沖の船団を襲撃して、駆逐1隻、掃海艇1隻、貨物船1隻を撃沈、輸送船1を大破させた。また、連合軍が回収しようとしたマーダーが爆発し、駆逐艦一隻が大破した。リンゼンも上陸用舟艇を破壊した。

しかし、マーダーは、なんと41基が失われ、17基しか帰還できなかった。リンゼンは指揮ボートが10隻帰還した。

さらに六日後、マーダー53基が到着、8月16日に42基でもって三度、攻撃したが、阻塞気球船と上陸用舟艇を撃沈、輸送船一隻の撃破にとどまったうえ、なんと26隻もが未帰還となった。

 数十隻を集中投入し、膨大な損害にもかかわらず、その戦果は少なく、これ以後、マーダー/ネーガーは主力としては用いられなくなっていく。

 ノルマンディーでの戦いの他、マーダーは、ノルウェーやデンマーク、地中海などにも配備されたが、ノルウェー、デンマークでは、ほとんど用いられず、地中海でも戦果をあげることはなかった。マーダーの電池を増加したタイプ、ハイ(鮫)も建造されたが試作で終わった。

 

ビベル(ビーバー)

度重なる損害にもかかわらず、K戦隊はノルマンディー沖の輸送船団への攻撃をあきらめなかった。たとえ戦果は輸送船一隻でも、大量の軍需物資を積んでおり、地上で敵部隊を撃破するのに等しい損害を与えられる。(ただし、空船の可能性もあるが!)

8月28日、新たにビベルを装備したK戦隊がル・アーブル付近のフェキャンプに進出した。ビベルはネーガー/マーダーのような魚雷改造タイプとは異なり、鹵獲したイギリスのウェルマン潜航艇を参考に開発された潜航艇だった。全長9m、排水量6.3tでトラック用の32馬力ガソリンエンジンと13馬力の電気駆動魚雷用モーターを併用し、最大水上速度は6.3ノット、最大水中速度は5.3ノットとされている。最大潜水深度は19.5m。武装はG7e魚雷2基、もしくは機雷2基だった。搭乗員は1名。潜航はできるが、トリムの制御機構がないため、全てが舵に依存し、ガソリン機関からの排気が漏れ、一酸化炭素中毒になりやすいなどの欠点もあった。

 8月30日に22隻が出撃したが、戦果はなく、ここでK戦隊によるノルマンディーの戦いは終焉をむかえた。

 K戦隊はオランダに移動し、ビベルはリンゼンと共に数回の作戦に従事したが、1944年12月の貨物船一隻の撃沈にとどまり、引き換えに52隻を静められ、もしくは事故などで失った。河川における作戦にも投入される他、機雷敷設任務にも使用された。また、ノルウェー、デンマークなどにもビベルが配備されたが、さしたる活動はしていない。目立ったものといえば、ソ連戦艦アルハンゲリスク(イタリアの賠償艦を受けとるまでの繋ぎとして、ソ連に貸与された英戦艦ロイアル・ソブリン)を撃沈するための作戦くらいである。1945年1月5日、Uボート3隻に2隻ずつ6隻のビベルを搭載し、ムルマンスク港を目指したが、途中搭載したビベルが故障し、帰投した。ティルピッツの意趣返しはならなかった。

 

モルヒ(イモリ)

ネーガー/マーダーの後継として開発された。全長は10.8m、排水量は11t、13馬力の電気駆動魚雷用モーターで可動し、水上5ノット、水中4.3ノットの速力を出すことが可能だった。最大潜航震度は不明。武装はG7e魚雷2基とビベルと同じである。トリムタンクを装備し、深度の変更が可能だった。磁気コンパス、自動操縦装置、簡易ソナー、潜望鏡の装備やバッテリーの増設など、いかにもやっつけな人間魚雷ネーガー/マーダーや必要最小限の装備の可潜艇といったビベルに比べれば、だいぶマシになったといえよう。

1944年12月頃(地中海では9月)から、配備、出撃しはじめた。ビベルと共に使用されることが多かったので、基本的にはビベルの補完のような形で配備されたように思われる。また、予備として数十隻が配備されていた。

 しかし、モルヒも振るわなかった。ほとんど戦果を上げられず、1945年3月11日にビベル、リンゼンと共に出撃した際には、戦果ゼロなのに、ビベル、リンゼンの大損害と共に、モルヒ14隻中9隻が未帰還だった。地中海、ノルゥエーにも配備されたが、ほとんど出撃していない。

 

ゼーフント(アザラシ)

ミゼット・サブマリンを駆使したK戦隊の奮戦は、その損害の多さにもかかわらず、戦果は、はかばかしくなく手詰まり感が漂っていた。あまりの費用対効果の悪さに1944年末、K戦隊司令のハイエ中将(昇進)は、デーニッツ海軍司令に作戦の中止を進言するほどだった。しかし、ここにきて、ようやく、希望の星が現れた。早い、安い、うまい(?)という虫のいいことばかりを狙った魚雷改造型とは異なり、UボートナンバーXXZBを割り当てられた本格的な小型潜水艦と言えるゼーフントである。

ゼーフントは、先述したイギリス海軍のティルピッツ襲撃の際、鹵獲されたX艇を参考に建造されたXXZAヘヒト(カマス)が元になっている。X艇同様、機雷を主武装としたヘヒトは総合性能が悪く、訓練にしか使われなかった。ゼーフントはヘヒトを大型化した完全なリニューアル版として建造された。全長は12m、排水量浮上12t/潜航14.9t、60馬力のトラック用ディーゼルエンジンと25馬力の電動モーターを併用した。最大速度は水上7.7ノット、潜航6ノットであった。航続距離は水上300マイル(7ノット)水中63マイル(3ノット)で、最大潜航深度は49mだった。対空監視も可能な大型潜望鏡、ジャイロコンパスなどを備え、爆雷にも強かった。水中ではソナー、水上ではレーダーにも捉えにくいミゼット・サブマリンの小ささがはじめて活きた性能と言える。搭乗員は2名で、一説には一週間近く、沿岸部に潜むことが可能だった。武装はG7e電池魚雷の他、機雷を搭載可能だった。

 ゼーフントは資材不足からXXV型Uボートの穴埋めとして、かなりの数が生産されることとなった。1944年3月には完成、発注、6月まで試験を経て、44年10月に最初の生産分35隻が揃った。

 1945年1月1日、17隻が出撃、1隻の武装トロール船を静めるが、15隻が未帰還(ただし、7隻は乗員が脱出)という損失を出してしまう。その他も何度か出撃するが、悪天候などにより、さしたる戦果をあげることはできなかった。しかし、2月5日から5日にかけて、8隻、8隻、5隻の小グループで出撃し、油槽船1隻、大型貨物船1隻をそれぞれ撃沈する。さらに2月16日から23日にかけても、4隻、5隻と出撃し、戦車揚陸艇、ケーブル敷設艦、自由フランス海軍の駆逐艦などを撃沈した。損失はわずかで4隻にとどまった。3月に入り、3月6日〜3月19日までの間に19隻が出撃、貨物船を撃沈、24日〜26日には、4隻、6隻が出撃、貨物船と商船を撃沈、また、哨戒艇と交戦、追い詰められたゼーフントが体当たりをして大破させるという戦果もあった。(乗員は脱出した)ただ、損害も増え、9隻が撃沈された。

 第三帝国が最後を迎えようとしている4月5日、K部隊は、ドイツ海軍の根拠地、ヴィルヘルムスハーフェンからオランダの沿岸港に移動した。のべ、36隻が4月23日まで出撃し、三分の一を沈められながら、タンカー、貨物をそれぞれ一隻、汽船3隻、貨物船2隻を撃破するなど、戦果をあげ続けた。ちなみに、連合軍は、常時、数隻がドーバー海峡で活動するゼーフントを大いに警戒し、大量の哨戒機、哨戒艇を貼りつかせたという。最後は未だに残っていたダンケルク要塞に補給物資を届ける作戦にも従事し、数隻の損害を出したものの、成功させた。

戦後、ダンケルク要塞に残された四隻のゼーフントをフランス海軍が接収し、ポケット潜水艦戦隊としてツーロン港を根拠地に活動した。1946年〜56年までの、なんと10年間、さまざまな訓練、実験などに使用されてフランス海軍に貴重なデータを提供した。

 

ドイツ海軍も幾つかの試作型を開発していた。

 

デルフィン(イルカ)T/U 

流線型の小型潜水艇。全長5.5m、排水量2.75tという小ささで、揮発油を使用した80馬力エンジンを密封サイクルさせて高速を狙った。排ガスを分解、液体酸素を加えるという複雑な仕掛けを持つエンジンで、開発が追いつかず、G7e魚雷用の24馬力エンジンで代用したが、それでも17ノットを出したという。武装は500kgの爆薬をおさめた、体当たり用である。ただ、乗員は脱出することになっていた。

デルフィンUは、魚雷や機雷を装備するため、大型化され、全長8.7m、排水量7.38tで80馬力のディーゼル密閉型エンジンを使用し、18ノットを出すことが計画されていた。

 

シュウェルトワル(シャチ)T/U

ワルター機関を用いた高速小型潜航艇。ワルター社が試作。全長11.3t、排水量14.5tで800馬力のワルター機関により、時速30ノットを出す予定だった。搭乗員は2名で主武装は魚雷2基。他に機雷や水中ロケット魚雷、水上戦闘用のロケット弾、浮遊機雷などが装備される予定だった。搭乗員は2人。ロケット水中戦闘艇と称され、機動性を増すため艇体の横に潜舵がついていた。後述の日本海軍の海龍を思わせる。

Tは試作されたが、より水中抵抗をなくしたUは図面が引かれただけだった。

 

ゼートイフェル(アンコウ) 

おそらく、もっとも奇天烈なミゼット・サブマリンであろう。大昔のSF潜水艦プラモデルにでもありそうな感じである。ディーゼルを主機関として、最大50ノットで水上を走ることが可能だが、電動モーターを使用し8ノットで潜航する他、ワルター機関で水中を30ノットで走行、また、シュノーケル走行も可能とされていた。複合機関というわけだが、容量はどうなっているのだろうか。また、船体横には潜舵があった。

もっとも特徴的なのは、なんと、潜水艇下部にキャタピラー式走行装置を備えている点だろう。港湾や支援施設がなくとも自力で陸上に這い上がり、また、発進を可能とした。(これでは、アンコウというより海亀である!)爆撃により施設を破壊されたり、設備のない海浜から発進することを狙ったと考えられる。また、武装も魚雷二基、機雷の他、地上、水上戦闘用に機関銃や火炎放射器を装備する予定だった。とても実現可能な代物とも思えない。無論、図面が引かれただけである。日本にも特四式内火艇という地上走行可能な魚雷艇が存在したが、ゼートイフェルは、その斜め上を遥か行く。

 

 ドイツは試作含めて、かなりの数のミゼット・サブマリンを開発(試作を含め)運用したのだが、思ったより活躍はできなかった。魚雷改造型を諦め、早めにゼーフントを開発していれば、もしかして、もっと戦果を挙げ、ミゼット・サブマリンの代名詞のような扱を受けていたかもしれない。

 

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