イギリス 

 

チャリオット 

イタリアのマイアーレ隊に、戦艦2隻を撃破されてしまい、ショックを受けたイギリス首相チャーチルは、直ちに英海軍も水中破壊工作班による作戦を行うべしと命じ、1942年5月に実験潜水隊が編成、6月にはマイアーレのコピーといえるチャリオット人間魚雷が完成、配備された。

1942年6月、ノルウェーのフィヨルドに潜むドイツ戦艦ティルピッツ(ビスマルク級)を目標とした作戦が行われる。アメリカ、イギリスは対ソ支援のために膨大な戦車や航空機、軍需物資を積んだPQ船団を送り込んでいた。船団はイギリスが指揮、護衛した。イギリスから出航したPQ船団は、アイスランドを経由、さらに北上し、北極海の流氷限界に沿って東進、バレンツ海に入り、目指すソ連のムルマンスクに入港する。ムルマンスク港は、ソ連海軍航空隊と共に、イギリスから派遣されたハリケーンUの戦闘機隊が守っていた。このPQ船団を狙うのが、在ノルウェーのドイツの航空部隊やUボート、フィヨルドのドイツ水上艦隊戦力だった。

実験潜水隊が1942年に開隊されてから奇しくも1ヶ月後の7月には、PQ17船団が、ティルピッツ以下水上艦隊が出撃したという誤報に惑わされ、退避、解散したところをドイツ空軍の猛攻を受け、実に70パーセントを失うという大損害を受けた。ティルピッツは、イギリスにとっては、存在するだけで大変な脅威だった。

1942年10月、ティルピッツ撃破のため、漁船に曳かせてチャリオット2基を持ち込もうとしたが、途中で流されてしまい、作戦は失敗に終わる。結局、ティルピッツという棘を抜くのには、チャリオットでは不足と判断され、刺抜きの役は、後述の本格的なミゼット・サブマリンであるX艇に譲られることとなる。

チャリオットは地中海作戦へと転用された。チャリオット隊は1943年1月2〜3日、パレルモ港のイタリア軽巡洋艦「ウルピオ・トライアーノ」や駆逐艦「グレケーレ」、兵員輸送船「ヴィミナーレ」、水雷艇、商船などを撃破し、損害を与えた。さらに、シシリー島上陸前に、偵察などで活躍した。イタリアとの休戦後の1944年6月21日の深夜には、イタリア駆逐艦及び高速艇に搭載されたチャリオット隊とイタリアのマイアーレ隊が、ラ・スペツィア港のドイツ軍に拿捕された重巡ボルツァーノを攻撃し、撃沈している。

 

X艇 

 一方、チャリオットでは果たせなかったティルピッツ抹殺のため、X艇と呼ばれるミゼット・サブマリンが建造された。もとは陸軍がドイツのライン川で使用することを考えていたらしい。それが、海軍の特殊潜航艇「ジョブ82」建造計画に転用された。全長は15m、浮上時排水量は27t、ディーゼルと電動モーターを併用し速力は5〜6ノットだった。航続距離が短いため潜水艦に曳航されて航行した。水中へ潜水服を着用した破壊工作員を送り出すために、ウェット&ドライ室を備えている点が大きな特徴だった。装備しているのは魚雷ではなく、機雷(磁力吸着式含む。2t。後期のXE型は5t)である。艇内からの操作で取り外すことが可能だった。X艇は、人間魚雷、水中スクーター同様に水中破壊工作員と機雷の輸送を用途としたミゼット・サブマリンだった。

1942年3月には、ヴァーレイ社の試作型の公試運転が終わり、ヴィッカーズ社に生産型が6隻、発注された。1943年1月にX5〜10が配備され、チャリオット隊と共に第12潜水戦隊を編成する。

天候、気象条件などを考慮し、「ソース」と名づけられた作戦は、同年9月に行われることになった。事前の偵察やレジスタンス組織の通報などにより、戦艦ティルピッツ他、巡洋戦艦シャルンホルスト、装甲艦(重巡相当。ポケット戦艦とも呼ばれた)リュッツオウも停泊していることが判明した。獲物には全く不自由しない。  

X艇は全兵力6隻が投入されることになった。6隻の潜水艦(S級4隻、T級2隻)に牽引されたX艇は、9月11日〜12日にかけて順次出港したが、ノルウェー沖に到着するまで、X8は浸水のため破棄、X9は行方不明となった。ようやくノルウェーにまでたどり着いたが、今度はX10が故障を起こし、放棄され、X5も故障により遅れてしまう。 

残るX6とX7はなんとかティルピッツに機雷を仕掛け、X6は自沈、X7も放棄したが、乗員は脱出。機雷は爆発しティルピッツに大損害を与えた。遅れて到着したX5だった。護衛の駆逐艦により撃沈されてしまう。なんとも受難の航海となってしまったが、ティルピッツの戦闘力を奪うことには成功した。ちなみにティルピッツは、1944年11月12日のランカスターによる爆撃によって撃沈される。他にも1944年のノルマンディー上陸作戦の事前偵察、誘導などにも使用された。

 X艇は日本との戦いにも投入された。1945年7月30日、潜水艦S級に曳航されたXE(EASTの略。熱帯用に冷却設備が多少改良されていた)1とXE3が、シンガポール沖に侵入した。目標は、日本海軍にわずかに残された大型艦艇の重巡洋艦高雄だった。(何も、マレー沖で陸攻隊に沈められたプリンス・オブ・ウェールズ、レパルスの復讐というわけでもあるまいが)XE3はシンガポール港に忍び込み、水中工作員が高雄に機雷を仕掛けて離脱、高雄を大破着底させ、母船と合流した。XE1は目標に遭遇できず、また、一日遅れで合流した。同じ頃、サイゴン沖で別の潜水艦に曳航されたXE4およびXE5が海底ケーブル切断任務に向かい、XE5は目標を見失ったが、XE4はサイゴン〜シンガポール、サイゴン〜香港間の海底ケーブルの切断に成功した。

 チャリオット、X艇の他、一人乗りで540kg機雷1個を搭載し、既存のさまざまな部品(操縦桿や計器はスピットファイア戦闘機、電動機は何とロンドンの市バス)という輸送用のウェルマン潜航艇や、工作員が沿岸に進入する際に使用するモーター付きカヌー、

スリーピング・ビューティー(眠れる美女)、略してSB艇などが、特殊作戦用機材として開発、投入された。

 このように、イギリス海軍は、水中破壊工作用に限定してミゼット・サブマリンを使用し、成果をおさめた。イタリアに刺激された結果とはいえ、それなりに効果的なものだったといえよう。

 

 

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