東南アジア諸国の戦象

 

東南アジアでもインドと同様、戦象は古くから使用されていた。最初に戦象を集団的に運用したのは一〇五七年に拠点であるタトゥンを攻略し、下ビルマを制圧したパガン朝のアノーヤータ王であると伝えられている。それまでは、あくまで指揮官専用の望楼として用いられていたようだ。一五六九年には、ビルマのタウングー朝がタイのスコータイ朝の都城、アユタヤを陥落させる。この戦いは仏教王の証である四頭の白象を巡ってはじまったとされるが、実際は通商路を巡る戦争だった。

一八三〇年代のラーマ三世治下におけるタイのラタナコーシン朝は、よく訓練された東南アジア最精鋭の戦象部隊を保有していた。八百頭のうち半数は物資運搬などの輜重任務、もう一隊が戦闘用だった。百頭は砲兵隊に所属し、背に軽野砲を搭載していた。通常は砲を地上に下ろして射撃を行ったが、背に搭載したままの射撃も可能だったという。頭上の砲撃音で象がパニックに陥ることがなかったのは信じがたいが、それほど訓練が行き届いていたのだろう。残りの三百頭は歩兵隊に所属し、狙撃兵が乗り込んだ櫓を背に搭載して、ゴム製の防護幕で頭部や鼻を覆われていた。密林を踏破しつつ、象の背という比較的高い位置から広い射界を得て銃砲の射撃を行えるタイの戦象部隊は、東南アジアの地形上有効だったと考えられるが、逆に、象の巨体は容易に敵の銃砲の的となるだろう。この戦象部隊もタイの近代化に伴い、次第に縮小されていく。だが、今でも、タイ王室の象局は象部隊を保有し、公式行事に華を添え、また、スリンの象祭りでは過去の戦象の戦いを再現したショウが演じられて、かつての勇姿を今に伝えている。 

タイの他に、東南アジアでは、第二次世界大戦のイギリス軍、インドシナ戦争のフランス軍、ヴェトナム戦争のアメリカ軍も少数の戦象を使用した。いずれも現地人補助部隊による使用であり、物資や弾薬、負傷者の輸送、通信隊、パトロールに重宝したという。東南アジアの高温多湿な風土や鬱蒼とした密林、複雑な地形を考えると、車両や装軌車両より象の方がはるかに踏破性とコストに優れた輸送システムであることは明らかだろう。機械化された輸送手段が確立した現代においても、局地に限定するなら戦象は未だ優秀な兵員輸送車と言える。

さらに、戦象は一九七〇年代に入っても、なおもその姿を見せる。カンボジアを支配したポルポト派を追い払ったヴェトナム軍の下、成立した新政権はタイ国境を根拠地とするポルポト派との戦闘に戦象によるパトロール部隊を投入した。しかし、資金難に陥ったヴェトナム軍は戦象部隊を解体し、象牙は印鑑として、牙を抜かれた象たちは動物園に売却されてしまったという。なんとも哀れな話ではあるが、象にとっては動物園(その状態にもよるが!)の方がよりましかもしれない……。

 

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